とあるボランティア組織の総会の後、講演会がありました。講師は元美術の先生。絵を通しての子供の育て方がテーマだったのですが、その中で
という言葉が印象に残りました。例えば山へ遊びに行く。そこできれいな花を発見。すると最近の子は「この花は○○って名前だって図鑑に載ってた」ということを話すそうです。「大きなお花はきれいだね」「花びらが大きくておっこちそうだね」という風に花を見てどう思ったかを表現することが少ない。どうしてこんなことになったんだろう…と考えた時、今の大人達がこぎれいな生活をしたがってるのと関係があるのではないか、とふと思いました。
例えば子だくさん家庭の番組を見て子供が多いのは羨ましいと思う反面、「あんな生活はしたくない」と思う。それは子育てや家事に追われておしゃれができなかったりお金を自由に使えなかったり子供の教育にお金をかけられないのが我慢できないからでしょう。
でも子供はお金がなくても育ちます。昔の子だくさんが全部お金持ちなわけがない。しかし貧乏でも後世に名を残すような人も大勢います。それは彼らの両親、もしくは周囲の大人達が彼らの感性を大事に育てたからではないか、彼らも感性を大切にしたからではないかと思うのです。
しかし感性を大事にするというのはなかなか難しいものです。もし、周囲の子供達がまるで写真のような花の絵を描いている中で花の大きさも色も無視したような絵を我が子が描いていた場合。それを恥ずかしいと思うか、個性的だと喜ぶか…。どうしても親としては周囲の子供達と同じ方向性で育って欲しいと思ってしまうものです。そこからはみ出すと親として不安になるから。いい学校へ行かせたいのも子供のためというよりレールを敷いてやることで自分自身が安心したいからだろうと私は思います。
ただ、そのレールのためにスポイルされる感性があることも事実だと思います。それが講師の先生曰く「こましゃくれた子供」を生産してきたのかもしれません。そうならないためにはもっと泥臭い生活をしてみるのもいいんじゃないかなあと思うわけです。
こぎれいな生活をするのもいいですが、それで楽しくなければちっともきれいな生活じゃありません。子供達の感性を大切にし、生きる喜び、家族として生活する喜びを教える。そういう親になりたいし、子供達にもそういう親になって欲しいです。
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